水底のうたかた

たまさかのお喋り

多重化された《私》の物語――サミュエル・ベケット『モロイ』

 

 

「私は母の寝室にいる。今ではそこで生活しているのは私だ。どんなふうにしてここまでやってきたかわからない。救急車かもしれない、なにか乗り物で来たには違いない。だれかが助けてくれた。一人では来られなかったろう。」

 

ベケットの綴る三作にわたる長旅は、こうして始まります。自身の起源、「わたしは何処から来たのか?」をめぐる言葉の旅が。それはまた、小説における自明な前提から始まり、終には言葉それ自体における自明性を次々と言葉によって自己解体してゆく凄絶な旅路でもあります。

俗にベケットの小説三部作と呼ばれるうちの第一作目にあたる『モロイ』は二部構成で、両方ともが旅を終えたあと、いわば事後に自分の身に起こったことを改めて書き綴るという体裁を取っています。これを「書く」行為に対して意識的であったベケットの採用した方法的意識とあらわれと見ることは充分可能のはずです。そして何と言っても『モロイ』の特徴は、この二部構成にあると言えるでしょう。

その理由の鍵を握る要素のひとつが、物語が始まって幾ばくも経たないうちに主人公のモロイが最初に奇妙な仕方で描写する、静画のごとき場面です。

「相手のしていることはわからないままに、AとBとがゆっくりとお互いのほうに向かっていくのを、私が見たのもそんなぐあいだった。それはみごとなほどなにもないある道でのことだった、つまり、垣根も壁もどんな種類の縁取りもなかった田舎道で、というのも、広大な野原では雄牛が寝そべったり立ったりしながら夕暮れの沈黙のなかで草を噛んでいたからだ。……」

 モロイが目撃した、何もない道でのAとBの出会いの場面を、ベケット独特の特徴的な文体は異様な執心さをもって描き出しています。そればかりではありません。というのは、この何の変哲もなさそうな場面こそ、むしろ先に述べたような二部構成間の繋がりを握る鍵であるのみならず、この作品の、ひいては後に展開されるベケットの小説につらぬかれる特質を、この場面の、「何もない道」「互いに歩み寄るAとB」という圧倒的な初期情報量の少なさを利用してまざまざと予告されているからです。

「それは、まごうことなく、二人の男、小男に大男だった。底冷えのする陽気だった、二人とも外套を着込んでいたから。二人は似ていた、だがほかの連中よりというわけではなかった。はじめは大きな空間が二人を隔てていた。お互いの姿が見えなかったろう、たとえ顔を上げて、目で捜し合っても、その大きな空間のせいで、それに土地の起伏のせいで、その起伏は道を波打たせていた、たいして深くなかったが、それでも十分に、十分に。だが二人がいっしょに同じ窪みへの下り坂にかかるときが来た。そして、二人がついにめぐり会ったのもこの窪みでだった。二人が知り合いだったと言うことは、いや、そう言い切る証拠は何もない。」

 ベケットのレトリックが、言葉をそれと並べれば曖昧ながら納得されるだろう、共有された「程度の前提」とでも言うべきものを信用していないことを上記の引用した文章は示しています。言葉には底がなく、その底をみずから埋めなければ言葉自体がいまにもただのフォルムへと解体してしまいそうな、本来ならば見過ごされているような言葉の表象性が有している不安定さを、ベケットは物語序盤にしてはやくも立ち上げます。まるで自分の記した言葉に絶えず、「なぜ?」「いかなる経緯があって?」「それはどういうものだ?」と、起源を問いかけている文章。そして早くも気づくことは、たいていの小説の言葉が本来、「そういうもの」としてその出所を揺さぶられることなく、いわば何かしらの言葉から登場人物の行為に至るまで、あたかもすべての選択が必然であるかのようにして書かれていることです。それは自己を疑うことなき、反駁を赦さない、唯一無二性を旨とする詩的言語の似姿と言って差し支えないでしょう。そのことをベケットは逆説的に、この必然性を揺さぶることによって教えてくれます。モロイの物語は、自分の選んだ行為の分岐の可能性、そうでなくてもよかったかも知れないという反省、いわば交換可能性への時折の一瞥を投げながら進行します。ところで、約5頁にもわたって延々と描かれるその場面は、(要約によってこぼれ落ちるディティールこそがむしろこの小説の醍醐味であると承知した上で、)要約すると以下のようになります。

 二人の散歩者が出会ったこと、言葉を交わしたこと、それからAは町へ向かいBは、その心許なげな足取りから察するになじみのない場所へ向かうだろうこと、それからAについてはさらに帽子を被っておらず葉巻をくゆらしていること、サンダル履きで、ポメラニアンを従えていること、一方のBは棍棒らしき杖をついていること、ざっとこんな具合です。

この特徴の摘出がどんな意味を持つかは追々お話しするとして、モロイの物語を次に記しましょう。

モロイは自分の唯一の肉親である母に会いに行こうとします。彼は片脚が悪く、自転車を器用に使って漕ぎ進むのですが、道中でそれを棄ててしまい、次いで自転車に装備にしていた松葉杖を用いて母のところへ行こうとします。その途中、母のところへと向かう目的は、次第に内心に湧き上がってきた「《終わり》へと駆り立てる声」の観念にとって変わられます。そして、どんどんと歩くごとに脚が硬化してついに両脚共に悪くなり、やがて松葉杖をつくよりも地面を文字どおり這って進むことのほうを選択したモロイは、暗い森を脱けた途端に溝に嵌まってしまいます。そこで意識が途切れると同時に、記述も途切れます。

「二人の旅人が思い出のなかに戻ってきた。一方は棍棒を持っていた。私は二人を忘れてしまっていた。雌羊たちがまた見えた。まあ、今だから言うのだが。私は気はもんでいなかった。かわるがわる雨が降ったり、太陽が照ったりしているように思えた。森に帰りたかった。いや、ほんとうじゃあない。モロイは、今いるその場にいてよかったのだ。」

 

素早く第二部の話へと移りましょう。第二部はモロイの物語とは反対に、最初から明晰な筆致で始まります。

「真夜中だ。雨が窓ガラスを打っている。私は落ち着いている。すべてが眠っている。それでも私は立ち上がって、机へ向かう。眠くはない。ランプがしっかりした、だがやわらかい光で私を照らす。芯を調節した。これで夜明けまでもつだろう。」

 そしてこの冒頭から程なくして、語り手はみずからの素性を明かします。

「私はモラン、名はジャック。そう呼ばれている。私はいかれちまっている。息子もそうだ。だが気がついてはいまい。」

 これもまた、モロイの時とは反対です。モロイには子供がおらず、かつ名前もどうにかこうにか思い出したという体たらくなのですから、不明晰なモロイと対極な語り手であるモランの立場はこうしてますます際立ちます。

物語は、モランが知人のゲイバーという男をつうじてモランの上司からモロイの捜索を依頼される場面から開始されます。この場面から、はやくも語り手の明晰性を疑わせるような仕掛けがあるのですが、ここでは割愛します。そして重要な点は、モランの特徴のなかにしばしば先のモロイとの共通点を見いだすことが出来ることです。それは仄かな類似から始まり、次第にその類似性が確信的になるように徐々に情報が出されてゆきます。殊に、モランが息子と共に自宅をあとにしてモロイ探索の旅に出てからは、その類似性が顕著になります、その重要な転回点となるのが、道中でモランが足を止め、息子に隣町まで自転車を買いに遣わせる場面です。

「よし、と私は言った、おまえはすぐにホールまで行くんだ、せいぜい――と私は計算して――三時間だ。息子はびっくりして私の顔を見た。着いたら、と私は言った、お前のからだに合った自転車を買う、できれば中古のを。五リーヴルまでならいい。」

 自転車はモロイの重要な所有物だったもののひとつです。さらには息子がながらく帰って来ないあいだ、モランの膝の調子が急激に悪くなり、息子が自転車を携えて戻って来る頃には、彼は杖がわりのこうもり傘をつかなければ歩けない状態――モロイに非常に近い状態にまで陥ります。さらには突然まぼろしのように現れて、「杖を持った老人を見なかったかね?」と尋ねてきた男の存在と、彼の不可解な消失の描写。尋ね人を探すうちに、次第にその者自身が尋ね人に似る、まるでミイラ取りがゆっくりとミイラと化していくのを眺めるような気味の悪さが場面全体にわたって漂っています。

そして物語は、自転車と共にモランの元へ息子が戻って来た途端、ふたたび急速に進みます。モランは息子の自転車の後部にまたがって、そのままモロイがそこに住んでいるといわれる街へと到着します。そして様子の知れない土地でモロイの手がかりを得るために、さる羊飼いに尋ねることを決心します。

「止まるんだ、とある日私は息子に言った。様子が気に入った一人の羊飼いに見当をつけたところだった。その羊飼いは地面にすわって、犬をなでていた。あまり毛のない黒羊が、彼らのまわりを恐れもせずにさまよっていた。まったく、何という田園的な国か。息子を道ばたに残して、私は牧場を横切って彼らのほうへ向かった。私はたびたび立ち止まってはこうもりにすがって休んだ。」

 さらに羊飼いについては次のような描写がなされます。

「とうとう私は、バリバ(※地名)は、と質問の調子になっているつもりで言った。羊飼いはパイプを口からはずして、その柄を地面に向けた。私は彼に言いたい欲求にかられた、私といっしょに連れていってください、寝るところと住むところさえあれば、忠実に仕えます。私にはわかったが、そう見えなかったのだろう、彼は同じ動作を繰り返して、何度も、パイプの柄で地面をさした。バリーは、と私は言った。彼は片手を上げた、その手は一瞬、まるで地図の上でのようにためらったが、次いで動かなくなった。パイプからはまだわずかに煙が出ていた、煙は空気を一瞬、青く染めてから消えていった。私は示された方角をながめた。犬もそれにならった。三人とも私たちは北のほうに向いていた。」……

 この描写から推理できることは、そうです、第一部の二人の旅人AとBにかんする場面です。しかも、例えばモロイがポメラニアンと推測した犬種の詳細や、羊飼いがサンダル履きであることを敢えてモランの視点では書かないことによって、くわえて両者の視点ごとの杖へのイマージュの溝(棍棒らしき/こうもり傘)を敢えて埋めないことで、なお完全な一致とは言いがたい、微妙なズレが発生するのです、すなわち、これは偶然に似たような状況、光景が発生したのではないか? というような。そうして結局、モランはモロイの許へと辿り着くことなく、捜索を諦めて途中で引き返します。これはどことなくベケットの有名な戯曲、『ゴドーを待ちながら』を思わせます。実際、ベケットはこの三部作の合間に、息抜きのつもりでこの戯曲を書き上げたそうです。

そして物語は突然の不条理により、モランは着ているものと、杖がわりのこうもり傘、わずかばかりの金銭だけが残された状況で息子に置き去りにされます。モランの長旅の様子は、テクスト内に流れる時間に反して省略的に描かれているとはいえ、厳しい旅の最中、それまでもゆっくりと変化を来していた思考の筆致が、ここでいよいよ何か執念に取り憑かれたふうへと成り代わり、いよいよモランがモロイへと接近してゆくのが明確に見て取れます。孤独ななか、彼はまた心に語りかけ、みずからを駆り立てる何か声のようなものをそこで聴く、それも含めて。道中にかんする描写でひときわ克明に明記される地形の説明は森であり、それもまた第一部の話が暗い森を脱けたところで終わっていることとの繋がりを暗に示しているものと思われます。

 この話はモランが這々の体で、出発する時と較べて無残にも荒れ果てた自宅へと辿り着いた瞬間、早々と収束へと向かいます。そしてモランは以前より少し悪くなった、しかし以前とよく似た日常を取り戻します。しかも、やがて戻って来た彼を見棄てた息子をも、モランはあっさりとふたたび迎え入れるのです。

「しかし、とうとう、その言葉を理解するようになった。私はそれを理解した、理解している、まちがってかもしれないが。しかし、問題はそこにはない。報告をしろと言ったのはその声だ。それは私が今ではより自由ということだろうか。わからない。いろいろと倣うことだろう。そこで家へはいって、書いた、真夜中だ。雨が窓ガラスを打っている。真夜中ではなかった。雨は降っていなかった。」

 この末尾の記述は、第二部の冒頭の記述への接続を連想させます。そして思い出して頂きたいのが、第一部の冒頭と末尾です。冒頭と、末尾の少し前の描写をここに掲げます。

「私は母の寝室にいる。今ではそこで生活しているのは私だ。どんなふうにしてここまでやってきたかわからない。救急車かもしれない、なにか乗り物で来たには違いない。だれかが助けてくれた。一人では来られなかったろう。」

 から始まり、森を脱けだしたあとの

「なぜなら、この広大な草原のなかで、どうやってからだを引きずっていけるだろう。そこでは、私の松葉杖の手探りもむだだ。ころがっていけるかもしれない。だが、そのあとは? 母の家までころがったままで行かせてもらえるだろうか。さいわいなことに、この、ぼんやりと予想はしていたが、その苦々しさをすっかりは理解していなかったつらい瞬間に、自分の声が聞こえた、気をもむにはあたらない、だれか助けにくるさと。まさに、文字どおりに。つまり、これらの言葉は、私の耳に、悟性に、ボールを取ってやった腕白小僧のかなりありがとうと同じくらい高くはっきり響いた、といってもほとんど誇張していないくらいだ。気をもむな、モロイよ、だれか来る。だがまあ、人間がどんな星の下に生まれたかをすっかり見られるのは、助けも含めて、なにもかも済んだあとのことだろう。私はそのまま溝の底までころがり落ちた。あれは春、春の朝のことだったはずだ。」

というこの文章から以前に掲載した末尾へと続くのですが、察しのとおり第一部もまた、途切れた記憶を挟んで冒頭と末尾が接続されていることを窺わせます。解説によって、あるいは後の作品内での自己解題のようなかたちで――というのは『モロイ』も含めてベケットの作品には多くの、ベケットのそれ以前の作品の登場人物の名前がまるで亡霊のように登場するのですが――この構造は《渦巻き式下降形式》と呼ばれています。循環しながらの下降。

実際に作品を読んで頂くと、第一部、第二部のモロイとモランはそれぞれ物語開始と時と較べて脚の状態が悪化していることが容易に見て取れます。くわえて第二部のほうで「より悪化したこと」を明確化するようにモランの家庭状況が彼が旅に出る前と後では異なる様相を示していることが強調されています。悪くなりながら、同様の状況を延々と繰り返してしまうこと、そのように類似させつつも完全な一致をさせないことによる差異の形成は、またもここであらわれ、小説外部の類似の幾多の物語の存在を示唆しながらも、両物語ともに緩やかな悲劇性と不条理の網に捕われている点において、ロマン的な悲劇とは異なる、より日常へと侵蝕するような悲劇であると見ることが出来ると思います。それは、この物語を事後的に綴っている当の本人たちがこの類似性に視線を向けることは些かもないということにおいて、却っていっそう強調されていると見なすことが出来るでしょう。

私がこれまでに抜粋し、強調してきた作品のディティールは、総じて類似と差異のあいだにある微妙な揺らぎを示したかったが為のものです。一致の不完全性をつくることで却って立ち現れる不気味さこそ、『モロイ』をつらぬく特徴のひとつであり、また語りの出所を作品内で明らかにし、かつその動機や人物は決して偉大なもの(誇大化された矮小さも然り)ではないこと、神話的な唯一性を感じさせるものではなく、というより《交換可能なもの、あり得たかも知れないもの》への類推を促す多重性と《構造的な類似》が暗示するパターンの乏しさの絶妙なバランス、そういったものを読み取ってゆくにつれて、この作品がロマン的なものからの脱却を試みていることを充分に感じさせてくれます。すなわち、近代が築いた「中心化の英雄時代」的な価値観の緩やかな解体であるということを。

 

長くなったのでいったん休止。次回は三部作の第二作目『マロウンは死ぬ』について欠ければいいと思います。

 

小説の巧拙にかんする話

 

Twitter上でとある方と、主に(小説の)文章の上達の程度の測定にかんするやりとりをしました。そのさい、後に書き示してある会話の論点に対する私の回答があまりに不親切、かつ自身の目にも分かりづらかった為、その回答を書き直したところ、想像をはるかに超えて膨大な分量となってしまいました。そこで今回、秘かにこのブログの開設に踏み切った次第です。第一回目から物騒な話題ですが、かような記事は最初で最後になるだろうと思います。さて、本題へ。

 

提出された論点はおおよそ次の三つ。

 

1.      小説の文章において明確な巧拙の基準はあるか。

2.      読者の評価は上達度合いの測定に影響を与えるか。

3.      自分評価だけでは上達の停滞を引き起こすか。

 

まず、1に関しての私なりの回答です。そもそも小説という文章の総体を前にしたとき、その評価を不明確なものにしているもののひとつに、読書の嗜好、のみならず読書において特に読者が重視するものの不確定さがあると思います。それはひとえに、レトリックの凝った文章と、平易な文章との対置に代表されるものだけではありません。例えば演出の問題です。この演出をもたらすものを、ここでは技法と呼ぶことにします。

この技法は、ひとつの明確な線引きをしてくれます。極端な例として、あまり意味のないように思われる些末事についての描写を延々と行う、というのを挙げましょうか。この技法は、例えば一人称の小説ならば、語り手の論理の優先順位の倒錯性を示唆します。或いは異常性癖を表わしているかも知れません。もしくは非常な不安の予感に苛まれて、それから目を逸らす為に敢えて瑣事にこだわっているのかも知れません、素数を数えるように。しかし一方でこのような技法がまったくの無駄とされる小説の類も数多くあります、いや、独断を恐れずに言うなら、そのような小説こそむしろ世に氾濫しているでしょう。そして、その類の小説では、そんな回りくどい方法を選ばずに、むしろ論理を明確にして、そこにあきらかな悲劇性を打ち立てることでしょう。非常な不安に対しては、明確にその非常な不安を描くでしょう。そして最後には感動的な台詞と共に、涙を催すようなハッピーエンドで締めくくる、むしろそういう演出を要求される小説が、一方には確実にあります。そして明確な演出、それもまた確乎たるひとつの技術であり、場合によっては延々と無意味な描写をかさねるより、余程必要とされるのです。もちろん、逆も真ですが。

この演出の必要、不必要を決めるのは作品のコンセプト次第です。そして、いかなる演出も文章によって表されるのですから、技法が文章の性質それ自体と不可分であることは申すまでもないでしょう。文章のコンセプトのことを文体と言います。

ここで、上達の程度を測る明確な評価基準を確立することができると思います。それはコンセプトを実現できたか否かです。無論、程度問題もあって、そもそもコンセプトが不明瞭だった、というのは未だ拙いわけです。上達基準、それはコンセプトの明瞭な確立と、コンセプトに沿って造形できるようになることにあると、私は考えます。この問題はそのまま2にも繋がります。

 

文章である以上、その評価において読者は欠かすことができません。自分では文章をつうじて演出効果や意図を伝えられたと思っても、読者の反応によって技術が不足していたことを知らされる場合もあります(そもそもの基本を指摘された場合は、単なる力不足という話になりますが)。けれども一方で、まったく的外れな批判というものもあります。それは技法や演出方法をまったく理解していない場合であったり、そもそも文章が読めない等と言う場合です。このとき、読者はその本とはまったく異質なものを暗に要求し、その異質な――しかし読者自身の要求、嗜好にとっては好ましいものの範疇ではないという理由で、その作品を排撃しているのです。コンセプトと読者の嗜好が合致せず、またコンセプトを構成する演出をも理解しない読者。厳しい言い方をすれば、そういう読者はその作品を読むのに相応しくない、ということになるでしょう。

2に対する回答は、読者の批判が的を外していなければ、上達程度を測定する基準になり得る、というものです。けれども、この回答には当然ながら問題があります。それは、この批判を受け取るのが作者という、やはり読者と同様に基準や嗜好の曖昧な、ひとりの人間であるということです。

 

この問題の特別に厄介なところは、コンセプトを確立した当の本人であること、そして、だからと言って的を射た矢の精確さを得点で表示するように精確な判断ができるわけでは必ずしもないということです、むしろ作者であるが故に、却ってむずかしいという場合もあるでしょう。

いま現在の、という留保付きで(数ヶ月後には違う意見を抱いているかも知れません)、この問題への私なりの回答を示したいと思います。それは次の二つです。

まず第一に、読書をつうじての自己批判。小説の作者は、また一方で当然ながら読者である筈です。そして選ぶ本は、傾向として自身のコンセプトと近しいものであると推察されます。かつ世に出ている本というのは、そのコンセプトに沿った造形の成功作であることが多い、少なくともそうであって欲しいと思います。すなわち読書は自己批判への意識を念頭に置いたとき、単なる娯楽行為であることを超えて、一種の対話の場、闘争の場になり得ることでしょう。

対話、それはお手本の一例を前にしての反省を促す場です。「君は、君の作品においてもっとかように書くべきだったのですよ、私のようにね」と。

闘争、作品は彼にこう語りかけることでしょう、「君はこの演出に気づいたかい? この技法に? 君のコンセプトを実現する手段はまだ沢山あるのだよ、もっとも、君がそれを発見し、抽出して自家薬籠中のものにできればの話だけれどね」、こんなふうに。

第二はやや心許ないですが、時間です。小説を書き終わり、熱気も次第に醒めた頃になって、夢中になっていた時には気づかなかったみずからの拙さに愕然とする、それはいつでも怖ろしい瞬間です。しかし同時に、この瞬間なくして上達というのは考えづらいでしょう。ましてや、技巧を究めれば、いずれこの瞬間と無縁になる時が来るのか、それはいまの私には分からないことです。ただ、先の二つを怠りなく行い、あるいは受け止める限りにおいて、自己評価がみずからを停滞を追い込むことはないと断言します。これが3に対する答えです。

そして作品が生まれるにおいて、作者が先か読者が先かという問いを投げかけたとき、間違いなく作者が先である筈です。読書のさなか構想するのも、コンセプトを確立しそれに相応しい構成を考え抜くのも。また、それは決して作者の傲慢を正当化するものでもありません。前に書いたように、読者の評価の受け止め方もそうですが、そもそも小説の明確な巧拙の基準として私の挙げた、コンセプトの確立とそれに相応しい造形を施す段階、そこで作者は既に己の力量の程度を問われているのですから。

 

いずれにせよ、巧拙を語り、また語らしめる場は、作品というひとつの厳然たる事実の上においてなのです。