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水底のうたかた

たまさかのお喋り

おもしろうて、やがて悲しき東京紀

 

 ぼくに日記を書く習慣があまりないのは出来事の正確な記録よりも、不可視の空気感や途切れとぎれのカットの寄せ集めを、写真を見返すように何度も頭のなかで反芻するのが好きで、それだけで満足してしまうからだ。まして他人に対して自己を記録的な形式で明かそうとは思わない。そんなことをして何になるのだろう。自己を一筋の物語に編み上げる、逃れがたい欺瞞を敢えて犯す図々しさは「ぼくにはない」――こうした断言でさえも気分のもたらす欺瞞の罠にみずから嵌まり込むことになるし、逃れようとすればするほど罠の餌食になるのは火を見るより明らかだ。だからこそ表層、記録に徹する記述が価値を帯びたりするのだが、精査していけばそうした記述のなかにも欺瞞の痕跡を指摘することは可能だろう。それに、一人間の平凡な旅行の記録をそうした慎重な記述で記したところで、誰がいったい得をするというのか。作者か。だったら最初から黙っていればいいものを、という話になる。

 

 それでもぼくがこんなふうに日記みたいな記述を試みるのは東京でお会いしたYさんが素早い筆致で旅行記を書いていて、そのなかに自分の過ごした時間を見つけたとき、記憶は記述の支えを借りてより鮮明に過去の時間を思い出させてくれたからだ。もし、ぼくがこれから書こうとするものが幾分か価値を帯びるとすれば、時間を割いてくれて共にひとときを過ごした人々の記憶を喚起する触媒としてだろうと思っている。それに、そうしたひとときに対するぼく自身の印象が、あなたがたの記憶に、言うなれば一方から見た横顔の真隣に本来は見ることの出来ないもう片方の横顔をつけ加えて、キュビスムの画家の描いた造形物のような様相を帯びることを期待している。時間は多面性から為っており、ぼくらは面のそれぞれを自分の思い出として胸にしまい込む。いま、ぼくは一度はしまい込んだ筈の面をふたたび取り出してあなたがたの前に差しだそうとしている訳だ。保管が杜撰な所為ですでに埃にまみれていたりひび割れたりしているかもしれないけれど、そこはどうか容赦して欲しい。

 

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    (iPhoneで撮影した新宿)

 

2月9日。あまりに期待を膨らませすぎると却って思わぬ弊害に遭って無惨にうち毀されるという迷信じみた思い込みの為に、この旅行については当日が来るまでぼくなりに用心を重ねていたつもりだったけれども、天候はぼくの細々とした用心など素知らぬ顔で荒れ狂い、東京は45年ぶりの大雪に見舞われ、ぼくの乗る予定だった飛行機も欠便になり新幹線を使わざるを得なくなり、おかげで大幅に予定時間に遅れて東京に着いたときは午後の三時だった。事前にKさんと連絡を取り合って、午後の三時に東京の神保町で落ち合うのが当初の予定だったから、この予定の狂い方はぼくにはすごく悲しかった。怒りにも似た苛立ちのさざ波がひっきりなしに押し寄せていた。

中央線の車窓の向こうに雪の名残が濃く残っていた。途中、路に迷ったりした挙句、Kさんたちとは5時頃にようやく神保町でお会いすることが出来た。お久しぶりです、と互いに言った筈だ(すいません、と言った覚えもある)。彼とは一昨年の5月にも会っている。それまでもかなり頻繁にSkypeでお喋りしたりして、決して遠ざかっていたという訳でもなかったけれど、何となくやっぱりこの言葉がいちばんしっくり来る気がして、そのひと言で二年近い歳月の隔たりがようやく埋まった気がした。KさんはKIさんとGさんを紹介してくれた。彼らともTwitterで親しくしているけれど、実際に会うとやっぱり不思議な心地がした。神保町の本屋の多くは店じまいの準備をしていた。ぼくらは開いている本屋を三つくらい適当に物色しつつ時々会話を交わした。時間の経つにつれて互いの口数も少しずつふえたように思う。食事は、ぼくがカレーが食べたいと言ったのでカレーを食べ、それから近隣の、建物の狭い階段を登った二階にある落ち着いた雰囲気の喫茶店へと雪崩れ込んだ。煙草が吸えると知ると、ヘビースモーカーのKさんをはじめとして一同の表情が途端に明るくなった。ぼくも喫んだ。皆、それぞれ際立った煙草の吸い方があり、為人を反映しつつそれぞれに洗練されていた。絶えず室内楽が流れているあいだ、噂話をしたり、アニメの話をしたり、文学や絵画の話をしたり、話題は途切れることなく続いて心地よい時間は過ぎていった。最後にはぼくもあの三人のなかに少しは溶け込めた気がした。だから、次に彼らと会うときは、あの夜の続きを再開するみたいにして快く迎えてくれそうだと、いまは一抹の期待を抱いている。ぼくにとってはこうした特別な一夜も、彼らにとってはちょっとした日常の延長の出来事なのかも知れないと想像すると、それもまた羨ましい。Kさんの一人称や口調がふだんよりずっと砕けていたのが、きっとそのことを証明していた筈だ。そして彼らと会話している最中は、文学や絵画もふだんの肩肘張った厳めしい姿をしておらず普段着のまま、何気ない話の一部を占めているのに過ぎなかった。もちろん、それが彼らなりにこうした分野を自分の血肉としているが故の副産物であることは言うまでもないけれど。

神保町の地下鉄新宿駅前でGさんと別れ、「ではまたTwitterで」と言って、総武線の新宿駅でぼくはKさんとKIさんと別れた。早朝に起きた割には興奮していたのか、ホテルに戻ってから就寝したときは深夜の一時頃だった。それに、ぼくは西洋ベッドの硬いシーツがあまり好きではない。旅行者であることを否応なく思い知らせてくる、疎ましい白い波。

 

2月10日。新宿駅構内で散々迷った挙句に昼食にはありつけず、代わりに駅の周囲を幾度かめぐった為に様々な声と出会すことになった。ライトバンについた拡声器から延々と、緩やかな声で人類が幸福になる為の原理について説く宗教団体の声、福島の動物保護団体が可愛そうな猫ちゃんワンちゃんを助けてください、と募金を募る声、アンケートに答えてくださいと誰彼構わず話しかけるおばさんの声、よろしくお願いしますと連呼するちり紙配りの声、隣を通過する人々の声……。その殆どは聞くひとのことなど構わずに一方的に他人の耳に自分の主張をぶち込むだけの暴力に始終していた。確かに首都らしく、情報の発信地と称されるに相応しい光景でもある。だが相手がグローブを構えていないのに一方的にボールを投げつける行為に対話の生まれる余地はない。いや、対話なんて最初から誰も求めていないのか。でも、老人ホームのサービスにあるという、話し相手のボランティアみたいな存在を、新宿駅前は必要としているように思えた。ぼくはといえば、宗教団体が催眠術にでもかけようとしているような調子で解き明かす、つまり結婚こそ人類が幸福になる必須の条件であり、たとえば信者が一般人と結婚をして子孫を設け、その子孫がまた別な人間と結婚して子を設け、という連鎖を生み出すことでやがて人類から等比級数的に憎しみが滅ぼされるという、ねずみ講と時代錯誤を掛け合わせた内容に気を滅入らせ、ふと笙野頼子の『説教師カニバットと百人の危ない美女』のなかの14ピクセルのフォントで綴られた一文を連想するのだった。

 結婚によってだよ、「救われる」だって。

 それから、ぼくは犬が嫌いだ。だからここぞとばかりに同情を惹くように、ワンちゃんなどと犬が称されているに至っては怒りすら感じる。募金をした人間はきっと犬も猫も嫌いではないことは間違いない。世の中には犬にひとかたならぬ嫌悪を抱く人間もいれば、そうでない人間もいる、それだけの話で済むほどに新宿は人間で溢れかえっている。

 

 小田急線に乗って、ぼくは新国立美術館へと向かった。途端に、どこか地方のちいさな市に似た、頽廃の端緒を感じさせるような穏やかな空気を感じたのには驚いた。代々木上原駅で降りて各停綾瀬行へ乗り換える。降車駅は乃木坂。地下鉄に乗ったつもりでもないのに列車は地下に潜り、メトロからのようにぼくは駅に降り立った。土地が狭いぶん、柔軟な対応を迫られるから、時には言行不一致も起こるのだろう。幼い頃に何度となく視聴した、電車を列挙するビデオの、「大きな街はね、家やビル、お店や道路でいっぱいだから、外に線路をつくらなければいけない」と地上二階を走る地下鉄の映像の解説の文句が、涼風のように脳裡をよぎったと同時に暗黒のなかに列車は呑まれていった。駅から美術館まではほぼ直通だった。

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    新国立美術館 一階)

 

 

 のちに知ったところでは新国立美術館の設計は黒川紀章であるらしい。いかにもモダンな建築物で、硝子と窓枠の規則ただしさと湾曲が好ましい。けれども三階に行くと少々脚が竦んだ。黒川は高所恐怖症でなかったに違いない。地階で昼食を摂った。パスタと珈琲。どこにでもあるような代物だが、地階の休憩用の椅子はアルネ・ヤコブセンの手になる、それぞれスワンとエッグと名づけられた赤い椅子が、食堂はアント(蟻)と名づけられた椅子がもちいられていた。土産物も地階で売っている。ぼくは美術館のショップが好きだ。名の知れたブランドものを漁るのとはまた違った魅力がある。目に鮮やかなデザイン性と実用性との結び目を探す作業だ。皺加工のされた、頑丈な和紙のブックカバーを買った。家族にも少々。

 新国立美術館に足を運んだ目的はメディア芸術祭を覗くことだったが、正方形のホールに作品が壁沿いだけでなく中央部分に点在するように並べられて、人々が自由に作品間を行き来している光景は、それまで格式張った美術館にしか足を運んだことのないぼくにとって、軽い衝撃だった。カメラを構えているひともいる。作品の幾つかは撮影を許可されている。

 

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    (メディア芸術祭入口付近)

 

 

入口を歩いてすぐ右手に、四本の背の高く細い水槽のような塔がある。透明な塔のなかには海藻が揺らめくように磁気テープが落ちてゆき、時間の経つごとに下層がたわんでほんとうに水草のような姿をしている。海藻は塔の先端に取り付けられた、まるで古い映写機の部品のようなモーター式原動車の回転によって規則的に吐き出されている。『時折織成-落下する記憶-』と名づけられた作品は、周囲の人々には頓着することなく粛々と歯車を回転させてゆく。ぼくは他の作品を眺めている。『それでも町は廻っている』とか、『ジョジョリオン』のパネルをまえにして、評価の定まり切った過去の作品をアーカイブ化することと、現在進行形でかたちづくられている作品を厳選して漫画誌上以外の場所に展示することとの隔たりについて考えている(無論、この要約した意見は後付けに過ぎない。当時のぼくは眼前の作品についてしか思いめぐらせていない)。突如、そいつは唄い出す。テープが落ちきった途端、車輪はものすごい勢いで逆回転しテープは巻き上げられ、ベートーベンやだとかチャイコフスキーとかの音楽の断片をまるで生前の走馬燈を再生するかのようにがなり、ぼくは大勢の人々と同様に塔のまえへと駆け出した。論語の「鳥の将に死せんとするや、其の鳴くや哀し。

人の将に死せんとするや、其の言ふや善し」という言葉をふいに思い出しながら、では人工塔の将に死せんとするや、其の音や如何に? などと思考を彷徨わせたりして。でもテープが巻き上げられたあと、ふたたび車輪はもとの動作に戻りテープは規則的に落ちる。見守る人々の環が徐々に崩れ、ぼくもその場から去る。だが同じ音楽は二度と鳴らない。少なくとも、ぼくの滞在していた時間の裡では。

 様々の戦争の悲惨さを伝える作品。兵士や武器商人、ボランティア団体などの証言を集めて展示したブースや、iPadで無人機による攻撃を受けた地域の俯瞰写真をインスタグラムに掲載したもの。だが、『時折織成』とは殆ど真反対の壁側、出口にかぎりなく近い半ば解放された一室に置かれた体感可能なインスタレーション『Learn to be Machine | DistantObject #1』は、こうした遠い海の向こうの惨事を享受するぼくらの体験そのものに批判的なまなざしを投げかける。スクリーンには大写しになった人間の顔が映されている。どうやら作者の顔であるらしい(これは操縦者の顔が映されるのか、と問う老人に案内係の女性がそう答えているのを聞いた)。スクリーンの中央にふたつの瞳が位置している。スクリーン手前にはトラックボールが置かれている。これを操作すると、スクリーンのふたつの瞳が動く仕組みになっている。順番待ちしているあいだに、ぼくは自分なりにやりたいことがあった。それを実行する。目を閉じたりひらいたりする。思いのほかボールを何度も回転させなければいけない。まばたき。目を瞑る。左上方を見る。ぼくは満足した。スクリーン上の瞳の向こうには幾多の作品が並べられていた筈だが、ぼくらは好きなものに対しては目を開き、見たくないものについては目を閉じる。どんなに情報がふえても、こうした身体と直結した反応は変わりないし、限界はそこにある。もちろん、それは作品の一解釈、しかももっとも単純な解釈にすぎないのだけれども。

 

 新宿に戻り、伊勢丹メンズ館を見物する。煌びやかな洋服の王国、といったところだ。ぼくにとっては夢の世界、とはいえ夢と喩えるには随分と産業的な世界だ。でもDiorやLANVINの服はやっぱり目を瞠るように美しく、その魅力にはあらがえない。意外にもジョン・ローレンスサリバンが良かった。ブランド名は伝説のプロボクサーに由来している。創始者の柳川荒士自身、元プロボクサーだ。ぼくは柳川の写真を雑誌で目にしたことがある。サングラスを装着し、肩幅のひろさよりは長身ぶりが目立ち、その所為で彼のつくる服は体格に恵まれた人間に宛てられたものだろうという先入観を抱いたのだった。つまりデザイナー基準の服だろう、と。ところが意外にもミニマルなデザイン、しかも豪奢で(照明の効果もあったと思う)綺麗なテーラリング。縁遠いと感じられたものが一挙に「着てみたい」に変わった瞬間だった。

 伊勢丹について言えば地図を殆ど頼りにせずたどり着けたのだから、新宿駅に辿り着いたとき、自分が迷うなどと夢にも思わなかったのだけれども見事に遭難してしまい、挙句には入場券をわざわざ購入する羽目に陥ってしまった。もしテロを起こすなら、毒ガスを撒き散らすのが有効だろうと、ぼくは歩きつつ夢想した。とはいえぼくは自分の苦境を爆破したくて仕方なかったのだが……。

 

 夕刻の、新宿の雑踏に混じってホテルに戻り体勢を立て直したあと、予定通りYさんとBさんとの待ち合わせ場所に行く。互いにネット上での付き合いは結構ながい筈だけど、実際に会って話すとなると少し緊張する。Bさんとは以前にも会っている。東京が地元のBさんの案内で洒落た雰囲気のバーに行き、飲みつつ会話する。時間が経つにつれて少しずつ余計な緊張は消えて開けっぴろげな会話になってゆく。ぼくも、そこそこ飲んだつもりだったけどYさんもBさんもそれ以上に杯を重ねるペースがはやくて、おいおいまじかよと思いつつ、ぼくはジントニックアイリッシュウィスキー、ミスティアシャルトリューズを飲んだ。そういえばYさんのブログに曰く、今回の三人は「傍から見るとなぜこの三人が?」というものだったと書かれていて、まさにその「なぜ」の部分がいまのぼくらそれぞれの立ち位置の違いを象徴していた。でも「集まった」という事実と時間のまえには些細なことだ。ぼくらはよく喋り、よく飲み、よく笑い、互いを煽り、けれど最後にはYさんの言ったように「結局、何のかんのと言いつつ互いにリスペクトし合っている」という結論に自然と落ち着いた(重度の音楽好きのYさんらしい表現だと思った)。無論、これは逆接を孕んでいる。それは自己がそこに安住することを赦さないことだ。自分で言うのも難だけど、あの一夜でいちばん煽られなかったのはぼくだったものの内心では、このままではいけない、今年は殊に停滞していたし、ぼくがいちばん呑気に構えている場合じゃないんだよ、とつぶやいたりしていた。それでも、例えばYさんがぼくの書く小説に触発されて自分も書こうと思う、と言ってくれたことはすごく嬉しかった。ゼロの人間にもまだ使い途が残されているらしい。ぼくはといえば、YさんもBさんも、自分の書いた小説を必ず読んでくれることに感謝している。ふたりともよき読者なのだ。瓶に入れた手紙でさえ、誰かの手にとどくのを期待して海へと浮かべる。そして受け取ってくれる人間のいるかぎりは、可能なかぎりは、ものを書きたいと思う。最後には藻屑に帰すとも。ぼくはこの段落で些か自分のことを語りすぎた気がするけれども、ここまで書いてさえまだあの場の会話を再現するには舌が足りない。やがて、あの場は言葉にできない無形の記憶となってぼくらの胸のうちに透明な痕跡を残しとどまり続けるだろう。この場だけにかぎらず、前日のKさんたちとの会合も。すべての良き出会いがそうであるように。

翌日に用事のあるというBさんと別れて、ぼくはYさんに頼んで深夜の三時近くまでつき合って貰った。あのときのぼくはふだんよりいっそう子供じみていたと思う。でもYさんは快く承諾してくれた。日付も間もなく変わろうかという時刻になっても、駅前で唄ったりヴァイオリンを演奏し続ける男たちがまだいた。ぼくらが現在を夢見ていたあいだ、彼らは明日を夢見ていた。いずれにせよ等しくぼくらは駅前に屯する、おもしろうてやがて悲しき酩酊者にすぎない。翌日、下着のシャツ(ユニクロヒートテック)にスキニージーンズ、裸足にスリッパという碌でもない恰好でホテルのチープな朝食をしたため、10時にチェックアウトしてぼくはかりそめの宿りを失い東京における根無し草に戻ってしまったのだった。

 

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    国立西洋美術館

 

 

10月11日。上野駅の改札はひとでごった返している。まるで食糧難のさなか配給切符を一刻もはやく品物に替えようとしているかのように、銘々切符を手にして。ぼくらは即刻、時間のあまりを欲しがっている。一秒でもいいから。それと快適な空間と冬の空気! 国立西洋美術館前には雪がところどころに塊となって積もっていた。ル・コルビジェによって設計された方形空間の庭先にも白い小山が横たわり斑を為していた。幾つかの彫刻が寒空に晒されている。もっとも目を惹いたのはロダンの地獄の門だ。実際に目の当たりにするとその厳めしさに驚く。そして門の向こうは? ただこの世界があるばかり。それはそうと、地獄の門を飾っているのはただ「考える人」ばかりではなく、実に様々な人間の姿がある。こと切れる女性をかき抱いて嘆く男性の姿さえある。ぼくは恥ずかしながらこの作品を詳細に分析する目を持たないが、後に調べたところ親切にも概説が載っていた。

http://collection.nmwa.go.jp/S.1959-0045.html

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    (オーギュスト・ロダン『地獄の門』)

 

 

モネ展を観る。かなりの人数が押し寄せている。最初は殆ど身動きが取れない。モネも若い頃の作品は西洋の伝統に倣い、遠近を強調するように遠方へ消える道を配し、そして周囲の木々や人間を描いている。が、やがて次第に遠近は消え、事物の輪郭はただ色彩の為だけにあるように描かれる。例えば下に掲げた展示作品のひとつ、『国会議事堂、バラ色のシンフォニー』にしても、もはや事物があり空があり河があり、というよりは夕刻の色彩だけがあるかのようだ。

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    クロード・モネ『国会議事堂、バラ色のシンフォニー』)

 

 

 モネだけではない。同時代の、彼とは違う表現方法をもちいた画家の絵も並べられ、モネとの差異が際立つように配置されている。点描法のスーラ、「レアリスム宣言」のクールベ、「すべては丸と三角と四角から成る」と構図に異様な執念を燃やしたセザンヌ、激しい色彩のゴッホ等……。展示作品はいずれも豪華で数もかなりのものだったから、ぼくも流石に最後のほうでは疲れてしまった。もし東京を拠点にしていたら前半と後半とに分けて観るのもいいかもしれない。とはいえ、ぼくは旅行者だ。

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    (ジョルジュ・スーラ『グランカンの干潮』)

 

 

 上野駅で蕎麦を食べたあと、ふたたび美術館へ戻り常設を観た。こちらはひとも少なく鑑賞しやすかった。主に15、16世紀のキリスト教美術が集められている。つまり人間ならざる者の表現から、現在の伝統を為す人間の表現への移行期を捉えている、という訳だ。かなり見応えのあるものだった。

 三時半を目途に鑑賞を切り上げ電車に乗って羽田まで行き、飛行機に搭乗し往路はあんなにもトラブルに充ちていたのだから復路もきっとひと騒動あるに違いない、最悪墜落するかもしれないがたのしい旅行の直後に死ぬならそれはそれで、と悲愴な覚悟を決めたりもしたのだが予想に反して何事もなく着陸してその後、列車に乗って自宅まで帰った。車窓から覗く光景は妙に虚ろで、建物は密度に乏しく、車道を照らす橙色の明かりが闇に浮かんでは背後に消え、浮かんでは背後に消えた。寂しい情景を見遣りつつ、なぜ帰ってしまったんだろうと思った。ほかに家がないから。夢のような時間も泡沫と消えゆく。

 

 そして結局、ぼくは何の為にわざわざ自分の旅行をこうしてテキストエディタのうえに再現しようと試みたのだろう。他人の記憶を触発する媒介を提供する為だけにこんなことをしたのではないことは明らかだ。たぶん、充溢した時間を「後日」という空虚さに喰い荒らされるのが耐えがたかったのだ。時間が経てばそうした空虚も空虚とさえ感じなくなる日は来るだろう。とはいえ、こうして汚す必要もなかった紙面をやたらに埋めて幾分でも充たされた日々の名残を取り戻そうとした試みも役に立ったかは疑わしい。つまりは、いましばらくは、抜け殻のまま。

 

 

 2014/02/16