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水底のうたかた

たまさかのお喋り

はじめてのぎきょく

久方ぶりの更新となりました。

去年の5月半ばから、戯曲を書くか、と唐突に思いつき、ようよう書いたのでここに置いておきます。諸事情で一定期間を過ぎたらリンクのみ削除するかも知れません。

 

https://www.dropbox.com/s/8z8sfppyb9x8p4q/%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%8E%E3%82%BD%E3%82%B3%EF%BC%88%E4%BB%AE%E9%A1%8C%EF%BC%89.pdf?dl=0 

 

日記代わりに私的な話を少し。

そもそも戯曲を手がけようと思ったのはまったく些細な発想からでして、小説を書いていて、まるで小学生の書いたように下手だから、どうにかして巧くなりたい、それなら台詞だけで成立している戯曲を書けば確実に上達するのではないか、という、何だか真面目に演劇に携わっているひとにうち明けたら怒られそうな動機に起因しています。無論、小説 – 地の文 = 戯曲(脚本)の単純な式で成立していないことを、直に思い知ることになりましたが。

 

まず、演劇は俳優によって演じられることによって成立するものであること。去年の6月から東京に住まうことになり演劇に直接触れる機会が格段と増えたのはさいわいでした。文章それ自体として見ると無駄なものであっても、対話として考えると間を与えるのに必要である言い回し、というのがまま生じます。また、言葉は飽くまで耳からの情報が主になりますから、言葉の伝達には音声的な制限が課せられます。

また、演劇には小説や詩と同様、演劇独特の辿ってきた歴史というものがあります。この歴史はかなり長大です。小説なんて足許にも及ばない程です。しかも、歴史的、民族的な背景があり表現様式も分散しています、とはいえここで挙げる演劇ないし戯曲と呼ばれるものは、一応、西洋近代演劇の流れの範疇にあるものですが。この辺は、渡辺守章『演劇とは何か』に詳しく、ベケット、イヨネスコ、ジュネに至るまでの演劇史であればおおむね把握出来ると思います。ここにさらに、日本の演劇の問題――素朴なところでは口語か文語か、等々の事柄も加味されます。

 

話を戻します。じゃあ戯曲を書いて小説上の台詞が巧くなったか、と問われると微妙なところです。現時点で小説を書いていない、というのもありますが、書いているさいの意識としては小説における地の文を書く感覚に近く、また飽くまで口頭にのぼせられる、という意識もあったからで、そうしたことを踏まえて考えると、台詞が巧くなった、というよりは文章がちょっとだけ上達した(かも知れない)と言ったほうが的確な気がします。もっとも、今回は砕けた口語なども多用したので、その辺を今後も反映出来るといいですね。

 また、以下解題のかたちになってしまいますが、言葉の幾つかが本に纏められたり、或いは先に言葉があり、それをなぞるかたちで台詞が発せられる、等々の口語と書き言葉の関係を多少意識したつくりになっていると思います。所謂メタシアターですね。すなわち演じることへの自意識です。題材的にも決して的を外してはいないと思います(結果的に、ややニッチすぎてマイナーなインディーズバンドみたいだと言われようとも気にしない!)。

 この作品を書くにあたって専門的な観点からの助言や参考文献を教えてくれたり、さらには夏頃に書けない書けないと幾度も愚痴っていたぼくを励ましてくれたYさん、心理学、精神分析を扱った映画や小説を紹介してくださったKさんに感謝を。ありがとうございます。あなたがたがいなければ、材料的にも精神的にも、ぼくは書くことが出来なかったと思います。そうして今頃は、苦悩の井戸の底で体育座りをして諦め悪く愚痴を垂れ流していたことでしょう。それから、ここを覗くことはないだろうけれど、自身の体験談を専門的な知見と織り交ぜつつ語ってくださったSさん。ほんとうにありがとう。あなたが身を切るように様々の物語をしてくれなければ、この作品はずっと弱々しく、うんざりするものになっていたことでしょう。といって、現状がどんなにマシなのか、あまり自信はないのですが。

 

 平田オリザミヒャエル・エンデの戯曲『遺産相続ゲーム』の解説で、戯曲の処女作というのは誰しもにとって失敗作、黒歴史になるという話をしていました(厳密にはエンデは『遺産相続ゲーム』以前にも戯曲を書いている。そしてそれは、彼の期待に反してまったく反響がなかった)。だからといって、最初からこの作品を川に棄てることを想定して育てる、なんてつもりはないし、単純素朴に色んなひとの世話になったから、どんなかたちでもいいから少しでも、日の目を見て欲しい、という気持ちは、ぼくにだってあります。このはじまりが、終わりになってしまうなら、それでも。

 

 とりあえず7月頃に応募期間を設けている賞があるので、それにでも投げてみる予定。でも、先の予定とかも色々あるので、この辺で一旦据え置き、というのが今回の意図。なのでまた推敲期間を設けて手を入れる予定です。現状では、これが精いっぱい。台詞だけの作品を、目に風景を思い浮かべつつ読むのはなかなかしんどいかも知れませんが、個人的には気に入ったフレーズとかあれば声に出して読んでみたり、げらげら笑ってくれたりしたら、これにまさる幸いはありません。それでは、また。