水底のうたかた

たまさかのお喋り

うるさい奴

 年の暮れ。街にしずけさはとぼしい。それは東京の辺境であっても。駅にひとが屯していて彼らに行くところがあるようなのに驚く。彼らの目から目的地は窺えない。この世に生きている人間である以上、行く先などたかが知れている、などと思ってみても無駄で、わたしがこうして慌ただしく言葉を連ねている、そのことも、ただ目を逸らしているだけで、やはり行く先至るところなどたかが知れているのかもしれない。

 窓をたたく風のおとがうるさい。何者かの、あけてくれぇ、という声がかすかに聞こえてうるさい。そいつの窓たたきのおとはいっそう激しさをましてうるさい。がたがたうるさい。

 

 さて、今年読んだ本のうち特に印象に残ったものを10冊挙げてみる。順不同。

 

 

1.『ブルーシート』(飴屋 法水・著 白水社

 戯曲。二〇十三年初演。福島県立いわき総合高等学校の生徒たちによって演じられた。東北の震災の生き残りである事実を、そうでなかったかもしれない可能性をも視野に入れつつ、感傷的でも露悪的でもない、平易だが確実に異化された言葉によって描き出してゆく。だが何より重要なのは、言葉の間隙、音響とか、身振りとか、劇空間の雰囲気とか、役者たちが役名でなく本名でありのままの状況を台詞に乗せているときの虚構と現実の揺らぎとか、それら全てなのだ。

 

2.『遡行』(岡田 俊規・著 白水社

 戯曲論集。岡田俊規が、二〇十四年当時から代表作『三月の5日間』以前まで遡って、その時々で彼が演劇について考えていたことを語り尽くす。だらっとした動きと現代の若者を彷彿とさせる「チェルフィッチュ語り」のテキトーな印象からは想像もつかないような厳密な、身体と言葉の関係における彼の論にこれがプロの凄さか、と搏たれる。なにせ、「舞台と観客の関係を意識しないというのはありえない」「むかしは箸の上げ下げひとつにも厳密な指示を出した」と言っているのだから。この本と競って挙げるのを迷ったのが別役実『ことばの創り方』。

 

3.『ファウスト』(ゲーテ・著 高橋 義孝・訳 新潮文庫

 だいたいある年代以前のドイツ文学に、わたしはさほど良い印象がない。クソまじめな人徳と神の徳の賛美、大袈裟でいかにも「ブンガク的」な形容の数々。予定調和的でひどく単調なプロット。以上がざっと偏見の一覧表。で、そういうのが見事ひっくり返された。もう序盤の、作者と劇場支配人と道化の会話からして面白い。あとはもうファウストメフィストフェレスのひっちゃかめっちゃかの珍道中。ワルプルギスの夜の饗宴には死者も、当時のゲーテの敵までもが登場する始末、キリスト教の神さまのみならず異国の神さまも総出の西欧文化のオールスター戦。最後の神と美徳の掟やぶりの勝利なんてご愛敬。

 

4.『コルバトントリ』(山下 澄人・著 文藝春秋社)

 かねて噂には聞いていた山下澄人。死んだひとがひょっこり現れ喋り、語り手「ぼく」の視点から横ずれした記憶が、突然時間も視点の角度も飛び越えてそこからの語りが開始される。幼い頃の父と母とに出会う。と、こう書いていて、要約は無意味だ。普通の秩序にしたがって書けばありえないようなことが、この小説のなかでは当然のこととしてある。フィクションを立ち上げるとはそういうことだ。それはテクスト内の現実なのだ。現実。それを作為なしにやってのける希有な作家が、山下澄人なのだ。のちに飴屋法水が演劇として上演している。こちらも素晴らしかった。

 

5.『小説、世界を奏でる音楽』(保坂 和志・著 新潮社)

 今年いちばん影響を受けた小説論。静態的構造や細部ではなく、まさに読んでいるとき、その小説でしか立ち上がらないものを重視し、広域的なアルゴリズムから離れてローカルな記憶回路を読み、考え、みる、そのことを解く。すなわち、そこでしかありえない、しかし絶対確実のリアリティ。自分のなかでの小説に対して抱えていた呪縛みたいなものが解かれる契機になったような本だった。

 

6.『現代詩の鑑賞101』(大岡 信・編 新書館

 現代詩におけるおよそ70年代までの主要な現代詩人(及川均や「荒地」の面々~荒川洋治伊藤比呂美まで)と代表的な詩をピックアップし、さらに詩ごとに解説まで付いているという丁寧ぶりで、入門書というに相応しい。自分にとっては大転換をもたらした本。ここから好きな詩人や詩風をみつけて、現代詩の世界に入ってゆくのがよいと思います。

 

7.『雁の夜』(川田 絢音・著 思潮社

 8月の、暑い休みの日。何の本を読んでもうまくいかない気がした。気分を変える為に図書館で借りた『川田絢音詩集』を捲ってみた。「正午の/空は発たない/コップの中にはおびただしい舌が痺れて斃れていく」

 さて、この詩集は現時点で彼女の最新の詩集だ。他にも素晴らしい詩集があり迷ったが、それならばとあたらしいものを挙げた。今年いちばん深く追い、読み込んだ詩人だ。疎外され、流浪する語り手の目を透した、切り詰められた世界観から逆説的に浮き上がる詩情。ひとの世の外にふと垣間見えるアニミズム……。

瓦礫の広がる墓地で/警官が棒をもってなにか探している/長い橋を渡っていくと/対岸の男たちがドラム罐に火を焚いて/口に出さず/壁に頭をぶちつけず/太い息を吐き しずかに身をふるわせている/たがいに争うように煽りたてられた隣人/人はどんなやり方をしても救われないが/わたしたちにそれが必要なのだろう/なにを浴びても/外にものごとはないという度量で/川は外を流れている(長い橋)」

 

8.『炎える母』(宗 左近・著 日本図書センター

 第二次大戦の際、空襲に燃える母を見殺しにして自分だけが生き残ったことへの自責の念から書かれた詩、その詩集。その激しい言葉もさることながら、空襲の渦中、幼少期、母の死後、とめぐりふたたび母が「鰹の丸焼きのように」ごろりと語り手の視点の前に投げ出される、そうした詩集全体の構造のなかを潜るという、アンソロジーではない詩集を読む醍醐味をはじめて覚えた詩でもある。「炎の一本道/走っている/とまっていられないから走っている/跳ねている走っている跳ねている/わたしの走るしたを/わたしの走るさきを/燃やしながら/焼きながら/走っているものが走っている/走っている跳ねている/走っているものを突きぬけて/走っているものを追いぬいて/走っているものが走っている/走っている/母よ/走っている/母よ/炎えている一本道/母よ(走っている その夜 14 一部抜粋)」

 

9.『奔馬』(三島 由紀夫・著 新潮社)

 三島由紀夫は、いま距離を取りたい作家のひとりだ。『豊穣の海』四部作の至るところで横溢するキッチュさと煩悩じみた男女のアレコレへの色目が、つよい言葉で彫琢されていればいるだけ、目を背けたくなる。しかし、この小説にかんしては文句のつけようがなく、挙げた。ところで三島は小説講座のなかでうろ覚えだが、柳田國男の『遠野物語』における霊が木の棒を手にしてくるくる回す、その瞬間のフィクショナルな出来事がリアルに立ち上がる描写を指して、小説の醍醐味だと言っていた筈だが自身の小説においてそれはレトリックの域を出なかった。それがこの小説では、最後の一文をして達成される。主人公ともいうべき勲の、純粋な人物造型(フォルム)が、この小説内で余計な色目を使わせない。挿入される「神風連史話」、政治という現実への接続もありつつ重層化されたテクストは、いま畢竟の達成と感服する。次点『暁の寺』。姫が「本田先生!」と勲の生まれ変わりとして本田に縋る場面は、迂遠な言葉でことを描写する文学よりは、演劇的場面の出現に近い。ここも素晴らしい。

 

 

10.『羊をめぐる冒険』(村上 春樹・著 講談社

 再読した『風の歌を聴け』と迷ったけどこちらで。同時代性というか、描写を読み進むうちに湧いてくる感興、数年ののちにまで残るような何気ない場面の妙を創り出すのが、このひとは本当に上手い。特に本書については、アイヌと北海道開拓にまつわる史書的な記述と、羊との接続、それから死んだ鼠が山奥のコテージに姿を現し、会話する場面などが非常に素晴らしかった。愛おしい、とさえ言いたい。素敵な小説にはこの愛おしさが欠かせない。

《「俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさやつらさも好きだ。夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。君と飲むビールや……」鼠はそこで言葉を呑み込んだ。「わからないよ。」》

 

 以上、妙に長くなってしまった。

 ほか、映画はあまり観ない年だった。代わりにアニメ『響け!ユーフォニアム』に異様にのめり込んだ。この熱はもうしばらく続くかもしれない。10月にY君がユーフォニアムのイベントを口実に遙々北海道から来てくれて、旧友のB君を交えて夜中歓談したのも遠い思い出になってしまった。でも奇妙なことに、いちばん経歴のふるいネット上の友人と、結局いちばん長く交友が続いているというのは。

 詩にかんしては春日線香さんの助けもあり、約二ヶ月に一度、八丁堀で開催している詩の合評会に参加させて頂いている。このほか詩にかんして、友人としても、線香さんには世話になった。感謝致します。私事としてさらに以下、三月にこれも縁で文学フリマの同人誌に短編を寄稿させて頂いた(正直、あまり褒められた出来ではなかった。忸怩たる思い)。8月に戯曲を劇作家協会新人戯曲賞に送り、結果はなく落選した。個人的な実りはあったと思うから、機が熟せばまた書こう。詩にかんしては秋以降、次第に読めるものになってきたと自負している。こちらにかんしては今後も継続したい。わたしは詩人だ。小説家でも作家でも劇作家でも芸術家でもない。その自負を中心点に、エクリチュールを放射してゆく。それはそうと小説は、来年はいままでと違うものを集中して書き、集中して考えたい。でもこういう私事の繰り言を垂れ流していてはきりがない。皆さま、よいお年を。来年もよろしくお願い致します。窓をたたくおとは、いよいよ凄まじくなっております。ドンドンドンドン。あけてくれえ、あけてくれえ、と、これでは近所迷惑だ。耐えられないくらいうるさい。もう窓が割れそうだ。叫び声がちかい。あけてくれえ、あけてくれえ、とうるさい。新年という奴。