水底のうたかた

たまさかのお喋り

自問自答する小宇宙――ノースロップ・フライ『批評の解剖』

批評は一芸術であるとともに、一科学ではないだろうか。――ノースロップ・フライ

 

 批評とは何か、批評は何の役に立つのか、という問いかけは文学にまつわる歴史が堆積された現在になっても未だに耳にする機会が絶えないのが現状であると言えるでしょう。というより、それは何も批評にかぎったことではありませんが、それにしても批評という分野は殊にこの問いかけに煩わされているように見えます。何故と問うてみるに、この問題を厄介にしているのは、批評には常に対象を必要とするからではないでしょうか。しかも、文芸批評であるならなおさらです。そもそも、文学自体がまるで工業製品に対するようにして「何の役に立つのか」と問い続けるひとが後を絶たないさなかで、さらにその文学を対象にした批評は、二重の疑惑に晒されているわけです。かてて加えて、益体もない空疎な文章が、文芸批評の名を冠することもめずらしい現象ではありません。悪質な文章は、批評という分野の必要性をいっそう怪しいものに見せます。そして結局のところ、文芸批評とは何か? 作品同士を較べて優劣をつけることなのでしょうか。作品のなかにある構造などを解明してみせ、美術館に飾られた絵画よろしく、作品に説明書きを与えることでしょうか。仮にそうだとしても、どうしてこんなにも批評するひとによって方法が異なり、そして幾ら批評を読んでも最初の疑問は解決されないのでしょう。

 ノースロップ・フライの『批評の解剖』は、こうした疑問や混乱の解決という壮大な企図に充ちた本だと言えるでしょう。「挑戦的序論」と題された章のなかで、フライは批評を取り巻く現状に対して次のように述べています。

 

 文芸批評が主題とするものは一芸術であり、批評もまた明らかに芸術的なところを持っている。こう言えば、批評が文学に寄生する表現形式である、つまり既存の芸術に負ぶさった芸術であり、創造力の二次的模倣であるような感じを与えるかもしれない。この理論に従えば、批評家というのは芸術の愛好者であるが、芸術を生み出す力もそれを保護奨励する金もない知識人のことで、かれらは文化の仲買人という階級を構成して芸術家を搾取し、大衆につけ入り、自らの利益になるように文化を社会に流通させる輩だということになるからである。……

 

 いわゆる、創造の出来ない人間がみずからの欠落を埋め合わせるために批評という営為に走るのだ、という考えは、創造という言葉につきまとう誤解と、創造する側を自負する人間たちの勝手な自意識に過ぎないのですけれども、フライによると19世紀を黄金時代として批評無用論、あるいは反批評家的な認識を持つひとがすでに少なからずいて、こうした内容を大音声に撒き散らしていたようです。

 さらにもうひとつ引用。

 

 真の詩学を発展させる第一歩は、無意味な批評、つまり体系的知識構造を築きあげる手助けにはなり得ない文学論を見つけ出し、それを取り除くことである。われわれが概論的批評、随筆的論評、熱狂的イデオロギー批評、その他未発達の主題を概観することから生まれる文章で調子のいいたわごとはすべてこれに含まれる。その特徴が厳選性であれ包括性であれ、「最上」の小説、詩、もしくは作家の一覧表はすべてこれに含まれる。出まかせで、感傷的で、偏見を伴った価値評価や、架空の株式取引所で詩人の株価を上げたり下げたりする文学的おしゃべりもすべてこれに含まれる。……

 

 上の文章が些か激越に感じられるのは、フライが価値判断さえも益体のない、趣味の域を出ない文学的おしゃべりと見なしていることに起因しています。彼の言葉に従えば、単なる趣味の記念碑以上のものになり得るかどうか、その問いかけを自身の批評へ対決させているのです。さらに引用は控えますが、フライは同章のなかで、批評をマルクス主義批評、精神分析批評といった、みずからの立場に文芸批評を従属させようとする方法に異議を唱え、批評分野それ自体の独立を提唱します。

 つまりは、科学を志向しているのです。科学は何のために役立つか、という問いには答えません。換言すれば科学は、科学それ自体を志向する分野なのです。と、同時に各分野は体系化され、厳密にそれぞれの必要性に従って細分化し、しかも他分野からの干渉を受け付けないでいます。文学者や哲学者による科学批判というのがありますが、あれは厳密には科学を用いる人間への批判であり、科学それ自体の方法論を批判するためには、必然的に同じ土俵に立つことが要求されます。そして、フライの試みたこととは、文芸批評をちょうど科学と同様の性質を持った分野として確立することにありました。

 ここにすでに大きな困難が横たわっています。それは、科学の扱う対象というのは価値判断を抜きにしても確乎として存在しているのに対して、文学の個々の対象は、それに対して何の感興も有さないひとにとっては、存在が希薄になるどころか不在であるにも等しいという事実です。存在の程度が鑑賞者次第でいくらでも揺らいでしまう作品群を、いかにして価値判断を介入させずに科学的に再構成し、体系化するか。その壮大な解答が『批評の解剖』における第一エッセイから第四エッセイにわたって示されているのです。

 まず、フライは個々の作品から改めて原理を抽き出すような迂遠な真似はしませんでした。そうではなく、一方で批評における体系的知識構造を形成する役に立たない文学論を排除する反面、体系化に役立つテクストを積極的に利用したのです。その典型としては、アリストテレスの『詩学』。選んだ方法は「分類」です。

 

 第一エッセイには「歴史批評 様式の理論」という副題が添えられています。この章では前述した『詩学』を手がかりに、様々に様式を区別し、個々の様式が覆う範囲を決めてゆきます。たとえば主人公が周囲の人物、環境に較べて明らかに優れているなら、その人物は一個の神であり、物語は神話である。主人公がほかの人間や環境よりも優れているものの、それが程度の差に過ぎない場合、主人公は典型的なロマンスの英雄であり、物語は神話を離れて伝説、民話に由来する文学の領域に属する。……と、まず主人公の程度を、読者との比較によっておおまかに神話からアイロニーの五つに物語の様式を分類することから始めます。さらに悲劇か喜劇かの区分を加えれば、それだけで物語は10の型に分けられる、というわけです。もちろん、すべての叙事詩や小説、戯曲があまねくどこかひとつの枠に収まるということは流石になく、しかし10の要素の幾つかを併せ持ったうえでその範疇内のどこかには確実に収まることになっています。

 分類に劣らず重要なのは、時代ごとの作品の主潮がこの分類のなかで循環運動をしているということです。概説するなら、最初に現れるのは神話であり、端的に言えば聖書やその類いです。次いで、民話や神話の集大成であるところの叙事詩。やがて神々が直接に主人公である時代が終わり偉大なる人間が主人公に代わった時代へと移り――その典型は導き手ヴェルギリウスとダンテと主人公にした『神曲』――ロマン主義の時代に至ると関心自体が神ではなく創造的個人のほうへと向かうようになります。やがてロマン主義が終わり、フローベールリルケマラルメに代表されるアイロニーの時代へ移行すると、そこではもはや創造的個人が幅を効かすよりは、みずからの個性の主張を最小限に抑え、代わりにみずからの芸術を最大限に主張するようになります(われわれに馴染みの深い典型的な、作者の個人的な声を抑えた三人称はアイロニー時代の産物と言えるでしょう)。しかしまたフライによれば、アイロニー時代の作家のなかには神話時代へ回帰しようとする萌芽が見えているといいます。そして、ランボーの唱えた「あらゆる感覚の錯乱」なる語が、古典神話における狂気と予言の結びつきを志向していたと言い、ほかにもイェイツの思想を引き合いに出して、彼がヨーロッパの世界周期の終焉とそれに代わる新たな古典的周期の到来を予見したことなど、また作品から抽き出したものとしてはジョイスの顕現《エピファニー》の技法、生涯を通じて自己の内なる神託に耳を澄ませたリルケの例などが挙げられたあと、この章の幕は閉ざされます。

 第二エッセイの象徴の理論になると、この循環への意識はいっそう明瞭なものとなります。さらにこの章では、フライは文学の定義を試みています。それは実に簡潔で、仮設的言語構造と呼ばれるものです。仮設ですから、ともかくその前提を容認しなければ話は先に進みません。「ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢からふと目を醒ましてみると、ベッドの中で自分の姿が一匹の、とてつもなく大きな毒虫に変わってしまっているのに気がついた」という一文にしても、「自由の人よ、お前は海を 永久に愛するだろう」という一文についても、それを最初にそれ自体として容認しなければ、その書物を読むという行為は不可能になるのです。この仮設は、何か外部のためにつくられたわけでもなく、その小説、その詩のためのものに他なりません。これを以て、フライは文学を、ひいては無限の仮設である芸術を自律的なものであると見做す論拠とします。

 フライは象徴が決してでたらめに使用されるものではないと断言します。何故なら、詩人を志す者は自分が書く以前に書かれた詩から、詩を学び取るほかなく、しかもみずからも何らかの詩を書くにおいてその内容を伝達するに際して、何はともあれ見逃すことが出来ないのは、それ以前に書かれた詩に登場する象徴という一単位であり、またこの単位が何を意味するか、という約束事を踏まえなければ詩における内容の伝達は不可能だと言うのです。それはまさに言語使用の似姿です。ちょうど、catが「猫」であり、cutが「切る」といった単語と指示内容間にめぐらされた関係が、詩における象徴にも存在すると主張するのです。だからフライにとって独創的な詩人と平凡な詩人の相違とは、前者が後者に較べてより先行作品に対して模倣的であるか否かで決まるのです。そして先行作品たちが営々と築きあげて来た仮設を踏襲した詩は成立の瞬間、それまでに書かれてきた詩と類縁関係を結ぶこととなり、さらにこれら原型《アーキタイプ》と名づけられた、それまでの諸文学作品に含まれていた象徴が用いられることにより、その詩は「全文学の小宇宙、全的言語秩序の個別的顕示」にさえなるのだと、そう語ります。

そしてこの象徴を辿れば、厳然として体系的な文学の一覧表の作成も可能であると言うのです。何故なら、他作品間に共通して嵌め込まれている原型、或いは先に述べた様式等に忠実であるが為にその作品は偉大であり、聖典(キャノン)と呼ぶに相応しい地位を獲得するのですから。このとき、偉大な作品間に横たわる差異を為すものは、象徴の扱い方――技法の差異に収斂します。その象徴の技法もまた、具体的で寓喩的なものから徐々に時代を経るにつれて反寓喩的なアイロニー的技法へと至り、フライがもう一方の文学表現の限界点と位置づけた、寓喩と意味づけの関係の攪乱を狙ったダダイズムシュルレアリスムへと到達するのですが、この移行の過程は先に述べた様式の変遷の、いわば象徴版として対応していることは、納得してもらえると思います。そして、一度達した限界点から先は回帰でしかないと、フライが暗に考えているであろうということも。

 

詳述は控えますが、第三、第四エッセイにおいても、文学がいかに自律的であり、その閉鎖的な小宇宙のなかで互いに影響を及ぼし合い、その様式、要素が循環運動をしているということが記されています。殊に第三エッセイにおける四つの叙述(ミュトス)を四季になぞらえるあたりは顕著でしょう。こうして、この本を読み進むたびに読者に了解されるのは、(「結論の試み」の章におけるフライの言い方を借りるなら)「人生」や「現実」の注釈を超えてそれ自体の自律的構造へと向かう、さながら純粋数学のごとき「文学」の姿であり、かつ「科学」も「哲学」も、さらには街で見かける「広告」でさえも、そこで使用される言語が修辞的な要素を有しているかぎりにおいて、一部「文学的」たらざるを得ないのです。このとき、もはや何が文学で何が非文学、という議論はあまり意味を為さなくなります。敢えて言うなら、何かの機能への従属ではなくそれ自体の為に存在している作品こそが、もっとも混じりっけのない純粋な文学ということになるでしょう。さらに諸作品間の位置づけや優劣の基準に関しては、象徴の項目で少しばかり触れました。そして批評の役割は? ここから先はフライの言葉を直接引きましょう。

 

フィネガンズ・ウェイク』の最終章に関する私の解釈が正しいとすれば、そこに描かれているのは、夢の中で隠喩的同一関係の大群と交わりつつ夜を過ごし、目を覚すと夢のことはすっかり忘れて、仕事に出かけてゆく男の物語である。ネブカトネザル(註:バビロンの王)と同じように、彼は「夢の国への鍵」を使うことができず、自分にはその能力があることさえ悟らない。彼にできなかったことが、そこで読者の課題となる。「理想的不眠に悩む理想の読者」とジョイスは言った。つまり批評家のことである。創造と知識、芸術と科学、神話と概念、これらの間の失われた連鎖を回復しようとする仕事こそ、私が心に描く批評の姿である。

 

 さて、いままでの文章の中で私は何度か「科学」や、「科学的」という言葉を用いてフライの批評の意図を説明したりしました。この「科学」という語は私の発案ではなく、『批評の解剖』の中に何度か顔を出します。もちろん、科学が修辞のおかげを被っているということも(そして文学はそれ自体の為に修辞を用いる言語分野です)。そしてフライが、科学を修辞の一分野と見たのは目聡いと言うべきでしょうか、何故なら科学における言表もまたひとつの仮設の繰り返しであるという点では、文学と相違ないのですから。しかし科学と文学の決定的な相違については、フライは意図的に触れていないように思えます。

 科学における言語も確かに仮設的ではありますが、その根底は価値判断を下さないまでも疑いなく存在する事象であるということです。けれども文学はどうでしょう。はじめに述べたように、文学は、個々の作品は読むという行為を通じて心を動かされる主体的な経験を持たないかぎり、ひとによっては存在しないにも等しいということです。見るという行為よりも遙かに、読むという行為には曖昧さがつきまといます。ところで読むという行為の曖昧さについて例証するために、やはりフライに登場してもらいましょう。といっても、対象は文字ではありません。

 

芸術の生産は、普通生物からとった「創造的」比喩を使って説明されている。人間の生活には、より「低級」な存在のある面を模倣しようとする奇妙な傾向があり、たとえば祭儀は、循環する周年へのリズムへの植物的同調を模倣する。人間の文化も、無意識のうちに生命のリズムを模倣する傾向がある。こうして生ずる文化的伝統は次第に年をとってゆき、何かの大変動がその過程を断ちきり、新たな再出発を促すまで続いてゆく。だから、歴史批評の包括的形式とは、たぶん生物のそれに準ずる文化的年齢のリズムであろうし、また現代における大部分の哲学的歴史家たちも、あれこれの形でそのことを前提としている。今日では、現代は「西欧」文化の「晩」期であり、その青春期は中世であったこと、また現代という時代は古典古代文化のローマ期に似ていることなどが、事実上誰にとっても自明のことと考えられているが、このような考え方は、現代の世界観の必然的範疇の一つであるように思われる。

 

さらにもうひとつ。

 

芸術において進歩するのはその理解であり、またその結果たる社会的洗練である。文化によって益するものはその生産者でなく消費者であって、彼らはより人間的になり、より自由な教育をうけるのである。大詩人が賢明で善良な人間でなければならぬ理由はないし、まずまず我慢できる程度の人間であるべき理由さえもない。しかし、読者の方は、彼の作品を読んだ結果として、人間的に成長すべき理由が多々あるのである。

 

以上の引用が示すもの、それはフライの極端な芸術至上主義の、いわば裏面とでも呼ぶべきものです。はじめの引用にあるのは、循環や象徴といった要素を重視する彼の文学観を反映した、おそろしく素朴な歴史読解であり、そこには自身の位置する時代を「晩」期と臆面もなく断定してしまう視野の狭さが表れています。

さらに第二の引用においては端的に、アーノルド以来の英国の保守主義の伝統のもとに社会と芸術の関係を捉えていることが知れます。そのアーノルドの文学観は、宗教の求心力の衰弱が誰の目にも明らかだった18世紀、そして中心的な階級の担い手が、伝統ある王侯貴族から伝統を持たない、従ってそのままでは求心力を持たない中産階級へと移行していた英国社会の要求に応えるものでした。宗教が求心力を失ったいま、いかにして労働階級を手なずけるか? これが当時の英国中産階級の悩みのひとつであり、その悩みを解消するために文学が利用されることとなりました。何故なら文学は、中産階級の価値観を普遍的な道徳というかたちで労働階級に伝達するのに、非常に都合のよい代物だったからです。くわえて、小説を読むことは、娯楽行為でもあります。「英文学」が最初に課目として制度化されたのは大学ではなく職人専門学校や労働者専門大学だったのも、こうした目論見の為と言えるでしょう。

一方、中産階級にとっては、「伝統を有する古典」を読むことで、中産階級が本来持たないでいた高級な教養を身につけさせること、及びこの階級と「文学を通じて表れたる英国の伝統」とのあいだを架橋する道具として、文学ほど都合のよいものはありませんでした。

フライの、文学を自律的なものと見做す一方で、読者には「文学を通じての成長」を促す意見は、或る面から捉えるなら文学そのものをイデオロギーから切断させてその純粋無垢さを強調し、他方では社会や人々に対してはみずから――の属する階級――が信じ込んでいる道徳や秩序の枠組みに押し入れようという底意が働いているようにも思われます。また、文芸批評と、「批評を通じて露わになる象徴や原型などの普遍的なもの」という構図は、ちょうど中産階級と「伝統」を巧みに架橋しようとしたアーノルドの論の似姿であると言えるでしょう。すなわち科学や客観という、およそ言語を基底とする文学とは相容れないものを批評に適用しようとした結果、却ってノースロップ・フライという個人の観点が浮き彫りとなったのです。紛れもなく、フライの当初の目論見は、価値判断の領域から分かたれた批評基準の確立を目指すという、その目論見の無謀な性質の為に最初から頓挫していました。たとえそれが神話や象徴という、既存の枠組みであってもそれを殊更に重大視し、またほかの要素を閑却しながら法則を有した閉鎖的な体系という一種の際だった形態を構築している時点で、もはや客観的ではあり得ないのです。

しかし、ここで目を転じて問うてみたいのは、フライの目論見の頓挫は、即座に『批評の解剖』という書物の頓挫を意味するものでしょうか?

 

その結論を出すには、最初の問いに立ち戻るのがよいでしょう。批評とは何か?

アイルランドの作家、オスカー・ワイルドは『芸術家としての批評家』という対談形式の評論において、この問題に鮮やかな回答をしています。表題が示すように、ワイルドも批評を先行する作品の付随物としてではなく、芸術の一様式と見做していました。絵画の例を引き合いに出しながら曰く、画家に作品について問えば返って来る答えは線や色彩についての話に終始するだろう。だからこそ、批評家の仕事とは作品を対象にして画家がまったく夢想だにしなかった美を、新たに創造するものである、と、こういった趣旨のことを彼は言っています。これ以上に見事は回答は、ちょっとほかに想像出来るものではありません。この論に従えば、批評家は「理想的不眠に悩む理想の読者」としてひとり目醒めているのでは決してなく、というよりは水中で目をあけるようにして夢のなかに目醒めているのではないでしょうか。批評家はいままでに観た夢を手がかりに新たな別種の夢のほうへと進み、その夢へ向かって誰よりも深く没入する者であるのです。ただ、批評と呼ばれる夢があまりに冴えた外貌をそなえているが故に、拙い解説文や注釈と同程度のものであると誤解されているというだけで。

そして『批評の解剖』はワイルドが言った意味での、批評の要件とでも言うべきものを洩れなく充たしています。それどころか、この書物自身が、批評の何たるかを身を以て示しているのです。

これも序盤に書いたように、『批評の解剖』には批評を科学性と接続し、体系的ならしめようとするフライの信念――いまやそう言うべきでしょう――に貫かれています。その信念は彼の文学観と結びついて、結果的には英米文学を中心とし、果てはギリシャの諸作品や聖書までをも包含している、ひとつの文学の小宇宙を創りあげているのです。その小宇宙は、文学の個々の要素を厳密に細分化しながら、その要素のことごとくを循環と移ろいのもとに統御せしめて、さながら諸作品を素材にした自然秩序の人工的模型をそこに読むことが可能です。たとえフライが何と言おうと、これはひとつの紛れもない創作です。われわれが個々の作品を読むだけでは決して味わうことの出来ない、いわば別種の、批評ならではの快楽がここにはあります。しかも益体のないお喋りとのまがいものであった批評を整理し、区別し、あらゆる悪貨のごとき論難から文芸批評を守らねばならないという要請から出た衝迫は、この書物の存在の必要性をいっそう充足的なものにしているのです。いわば当初の目論見、そして何より内容それ自体が、この批評の成立要件となっています。フライが見た文学の自律性は、未だ多くの人々に受け容れられているとは言いがたいですが、少なくとも『批評の解剖』というこの書物は、それ自体の自律を保っていると言えるのではないでしょうか。そして、批評自体はやはり絶えず、批評とは何か、批評の必要性とは、といった問いに晒される運命を免れられない中で、『批評の解剖』はいまでも鋭い回答の刃を折りたたんで読者が言い旧された疑問と共に頁をひらくのを、いまかいまかと待ち設けているのです。

 

多くの粗製ならざる詩や小説がそうであるように、批評もまた、誰か他人に要請されてから書くというよりは、著者の内なる要請から筆を執るものなのでしょう。そうして書き上がった批評が読者の心を動かすとき、はじめてその批評は今度は世に必要とされるのです。批評とは何か? 批評の必要性とは何か? それをもっとも声高に問い、そして答えを叫ぶものは結局のところ、書かれたその批評、それ自身であると、わたしは思います。